アイロン技術との戦い
2009/05/18
僕は若い頃、池袋でテーラーを営んでいた叔父の元で、スーツ作りの修行を積んでいました。洋服学校に通いながらの片手間でしたが、それでも多くの基礎を学びました。それらはいずれも学校では決して教えられない種類のノウハウであり、今の僕があるのは叔父のおかげであり、当時覚えたいろいろな技術があってのことだと考えています。叔父は昔気質の頑固な職人でしたが、縫製の技術は一流でした。縫い針の使い方から下張り、ミシン、仕上げに至るまで、素人の僕にとっては魔法のような技術ばかりでした。中でも特に感動した技術がアイロン操作でした。
テーラーが作る本物の衿(表衿)は、その外回りに横地の目が通っています。ただの平面でしかないはずの生地が、地衿のカーブに合わせて美しい曲線となって身頃に吸い付いています。直線であるはずの地の目がカーブしているのですから、アイロンのクセ取りを知らない人にとっては、これは魔法以外の何物でもありません。しかも衿は立体的な3次元曲線を描きながら、首のノボリに沿って首に座っています。ビスポークテーラードの衿は、アイロンのクセ取り技術によって生み出される典型的な例と言ってもいいでしょう。
さて、僕はこうした技術を身に付け既製服業界に入りました。 そしてタケ先生(僕が師事した菊池武夫先生を、僕たちはそう呼んでいました)のイメージする服が、まさに新しい時代に相応しい服であることを知るわけですが、既製服には、テーラーとはまったく異なった技術が必要であることも同時に学びました。ビスポークの技術だけが本物だと思っている人は今でもたくさんいるでしょうが、僕は決してアイロン技術を駆使した服だけがいい服だとは考えていません。シワだらけで跳ねたり飛んだり抜けたりしている服だって、カッコイイ服はカッコイイとと思っています。それを教えてくれたのがタケ先生でありMEN’S BIGIというブランドでした。
前置きがながくなりました。ここからが本題です。
既製服の世界で、ビスポークの技術を再現することはほとんど不可能です。特にアイロン技術は望むべくもありません。もちろんそれは価格のためです。既製服として相応しい価格帯で商品を売るのであれば、そんな手間暇をかけられるはずはありませんし、一方では納期の問題もあるでしょう。既製服は2週間も3週間も店頭に吊しておくわけにはいきません。まさに生鮮食品の如く、短サイクルで常に新しい商品を並べなければなりません。ビスポークの技術とはある意味時間をかけることですから、そんなサイクルで作っていては、既製服は成り立たないのです。
アイロン技術を使わずして美しい服が作れるのか。アイロン技術を使わずして、どうすればカッコイイ服が作れるのか。
今になって振り返ると解ることですが、既製服業界に就職してからの僕の仕事は、パターンテクニックのみで、どこまで完成度の高い服ができるかという研究だったような気がします。伸ばすことも引っ張ることもせずに、どうやれば着て美しいシルエットを出せるのか。どうやれば無駄なシワをなくせるのか。どうやればイメージどおりのカッコイイ服が作れるのか。決して縫製技術に頼らず、パターンテクニックのみでこれを表現できないのだろうか。僕のパターン人生はまさにこれの追求だったように思います。言わばアイロン技術との戦いです。パターン技術のみで座りのいい衿を作らなければなりません。パターン技術のみでカッコイイパンツのシルエットを再現できなければなりません。ずっとそう考え、それを実現するために戦ってきたようなものです。
逆の言い方をすれば、縫製のテクニックやアイロン技術を使えるのであれば、服作りはあまりにも簡単だと言えるのかも知れません。僕はいつの日かそう考えるようになっていました。縫製やアイロン技術だけではありません。パターンのダーツや接ぎ目も同じことです。例えばプリンセスラインというのがありますが、その切替を使えってシルエットを出せるなら、そんな簡単な話はないのです。肩ダーツをつまんでいいのなら、そんな簡単な話はないのです。デザイナーのイメージや要望を無視して、美しいシルエットになるよう自分で勝手に切替やダーツを入れることができるなら、パターンメーキングなんて朝飯前に終わる話なんです。それができないから難しい。それができないからこそ、僕は何十年も悩み続けてきたのです。
僕の仕事に於ける目標はいつもここにあります。
パターンどおりに裁断し、パターンどおりに縫製すれば、どこの誰がやってもカッコイイ服になる。そんなパターンを僕は作りたいと考えています。