向上心

2015/08/09

寝ぼけ眼をこすりながらリビングへ降りると、テレビから長崎市長の演説が流れていました。そうか、今日だったのか。70年前の8月9日午前11時2分。投下された原爆によって長崎は地獄と化したんだ・・・。僕はそう思いながらコーヒーを煎れ、しばらくテレビの前で阿部さんの挨拶なんかに耳を傾けていました。

人間には向上心があります。 僕の大好きなドリカムの歌に「GODSPEED!」という曲があるんですが、その中でこう歌われています。「・・・誰より高く・・・誰より速く・・・誰より強く・・・誰より遠く・・・誰よりしつこく・・・誰より美しく」

人は何かを生み出し何かに挑戦し何かを成し遂げようとします。そしてもっと高く、もっと速く、もっと強くへとそのレベルを向上させようとします。これは人間としての特徴のひとつで、他の動物たちとは異なる大脳新皮質の働きだと思うのですが、この向上心に僕たちは大きな感動を覚え、拍手と喝采を送りたくなります。

先週僕は刃物研磨機という道具を買いました。それまで普通の砥石で包丁やナイフやノミを研いでいたのですが、なかなか上手く研げないのと、時間や手間や労力がかかりすぎるという理由で、清水の舞台からという気持で(数千円程度のものですが)買ってみました。するとどうでしょう、さすが文明の利器は違います。あっという間に素晴らしい切れ味が戻ってきたのです。これはみなさんもやってみればわかりますが、切れない包丁が切れるようになる快感というのは、格別なものがあります。ちょっとヤバいと感じるほどに快感です。

僕は会社の刃物を一通り研ぎ上げ、さらに研磨機を自宅に持ち帰り、死んでいた数々の刃物を次々と研ぎ上げていきました。どれも素晴らしい切れ味が戻り、刃先からは怪しい光沢が放たれています。それをうっとりしながら眺めているのですが、研いだ包丁はその切れ味を試さなければならないわけで、はじめは新聞紙や割り箸で試していたのですが、うーむ、まだまだ切れ味が足りないなあ・・・などとつぶやきながら、僕の中にある向上心がムクムクと頭をもたげ、もっと鋭く、もっと強く、もっともっと切れるようにとエスカレートします。新聞紙が包丁の重みだけでスパッと切れる快感。ああたまらネ〜!

鋭い切れ味が出れば出るほど、もっと違うものを切りたくなります。いろいろなものでその切れ味を試したくなります。大根、レタス、トマト、梨・・・と、冷蔵庫にある野菜やら果物やらを次々と切りまくり、更にアジの干物、ソーセージ、鶏のもも肉、豚バラ肉の塊やらを次から次へと切りまくり、遂にはカミさんに怒鳴られるまで切りまくります。

もっといい衿を作りたい、もっといい袖を作りたい、もっとカッコイイ雰囲気を出したい、もっと美しいシルエットにしたい、もっともっと、もっと・・・。
向上心があるからこそパターンは進化し腕は磨き上げられ服作りは面白くなり、結果として稼げるパタンナーに育ちます。もし向上心が無かったとしたら・・・、想像しただけで気持が重く淀んでしまいますね。つまらない人生だなと思ってしまいます。人間に向上心なる意識があるがために、ファッションも科学も社会も進化発展してきたわけですから、もしこれが無かったらと考えるとゾッとしてしまいますよね。

原爆を誰よりも先に開発しなければならないと考えたアインシュタインは、アメリカのルーズヴェルト大統領を動かしました。そしてあの有名なマンハッタン計画がプロジェクトされ原子爆弾の製造が始まりました。地下や水中での何度にも渡る爆発実験を経て、もっと強く、もっと速く、もっと高くへという思いが、原爆の性能に磨きをかけ、想像を絶する破壊力を持つまでに進化しました。科学者達が精魂を傾けて研ぎ上げた原爆という名の包丁の切れ味を、それがどれほど強烈なのか試したかったに違いありません。名刀正宗を手にした武将が、その切れ味を試そうと人を切ったように、原爆の威力と効果を都市で実験したかったに違いないのです。もしも人間に向上心が無かったら、こんな悲惨な武器など開発されなかったし、広島や長崎が地獄絵に化すことも無かったはずです。

うちのカミさんは料理が得意で、いろいろなものに挑戦します。しかし僕はそれを望んでなどいないのです。いろいろな料理が食べたいなどと思っていません。自分の好物でこれは美味しいと思う何種類かの料理さえあれば、そしてその味をずっとキープしてくれればそれで満足なのです。しかし人間には向上心というものがあるため、せっかく美味しかった味噌汁のミソを、わざわざ新製品に変えてしまうわけです。もっと高く、もっと旨く、もっと素晴らしく・・・。犠牲者は家族です。もしも彼女に向上心が無かったら、家族はずっと美味しい味噌汁を食べられていたはずなんですが・・・。