肩書きと本質
2009/04/25
社会的生活を営む人間にとって、一番重要なのは価値観だと僕は思っています。誰とも付き合わないで生きていけるのならばそんなことに関心をはらう必要はないでしょうが、例えばパタンナーとしての僕なら、パートナーであるデザイナーがどんな人物であるかは、社会的関係を保つ上で重要な関心事となります。その人の考え方を知ることで、今後その人との付き合い方も変わってくるかも知れません。
とは言うものの現代は家畜社会ですから、価値観よりもブランドがモノを言います。どこの大学を出たのか、どこの会社に勤めているのか、どんな肩書きを持っているのか。人の評価対象が中身より外身、つまりブランドになるわけです。あいつは東大だの慶応だの、それはちょうど牛や豚と同じです。あいつは松坂だぜ神戸だぜと言ってることと変わりありません。元はみんな北海道の牧場生まれでも、肩書きが変われば評価が変わるのが今の社会です。
僕だって肩書きの必要性を否定しません。現に玉置の仕事場のタイトルには「THE NORTH FACE CHIEF PATTERN MAKER」という肩書きを記しているし、プロフィールをご覧いただけばお解りのとおり、80年代に一世を風靡したメンズビギが自分の出身だと書いています。これも肩書きです。僕は少なからず今の社会に於いて肩書きは必要だと考えています。なぜ必要か。それは今風に言えば「食わせ」とか「つかみ」のためです。東大卒でノーベル賞受賞者の講演となれば誰もが耳を傾けますが、通りすがりのおっちゃんが駅前で怒鳴っていても誰も足を止めません。
ブランドや肩書きがあれば相手の関心や興味を喚起しやすい。これは確かです。しかし人間の本質がここに無いことも事実です。本質を知るにはその人の価値観を探るしか方法がありません。だから人は酒を酌み交わすわけです。人間は酩酊すると本質が出ますからね。