1981年~
僕の趣味はアウトドアライフです。詳しくは玉置の考えで書きますが、アメリカが憧れの地でした。広大なアメリカのアウトドアライフを実体験したかったのです。僕はいつもそうですが、心の奥底からわき上がる叫び声によって行動します。その声に忠実に、自分の欲望に素直に従うのが僕のやり方です。1981年、一年間の休職を願い出て僕はアメリカへの旅に出ました。
旅の詳細は何かの機会にまた書きますが、約半年ほどの放浪の旅は、大きな衝撃と変化を僕に与えました。帰国後さらに日本を放浪し、北海道から東北を半年あまりの時間をかけて歩きました。コリンフレッチャーの名著「遊歩大全」に強く影響されたのがきっかけでしたが、テントと寝袋を背負い、自分の脚で(ヒッチハイクもかなりやったが・・・)歩き続けました。いわゆるバックパッキングですが、その頃から急速に僕はアメリカのファッションスタイルに惹かれていきました。
帰国後メンズビギは僕を暖かく迎え入れてくれました。まるで巨大な石棺の蓋が取り払われたかのように、旅から帰った僕の身体には新鮮な精気がみなぎっていました。パターンメーキングという仕事に熱が入るようになり、頭も身体も冴えきっていたように思います。帰国してからメンズビギを退職するまでの9年間、ドレーピングの重要性、グレーディングのメカニズム、既製服の限界と可能性など、僕は服作りに関して大きく飛躍しました。特筆すべきはドレーピングの重要性とグレーディング理論の確立です。詳細は他のページに譲りますが、このサイトに記載されている技術の基礎はこの時代に築かれたものです。
時代はバブルに向かってまっしぐらです。メンズビギの売上も破竹の勢いでした。
タケ先生はすでにワールドに移籍していませんでしたが、後を継いだデザイナー今西祐次と共に、80年代後半の絶頂期を迎えました。僕はメンズビギのチーフパタンナーになっていました。そして90年、僕はメンズビギを退職します。もし僕が社会から要請されるパタンナーのひとりだとしたら、育ててくれたのはタケ先生をはじめとするメンズビギの大先輩と、ブランドを時代の寵児に押し上げてくれたメンビギファンのおかげであることは言うまでもありません。そしてそのきっかけを作ってくれた池袋のテーラーの叔父に感謝するばかりです。