2020年5月、僕は1991年から30年携わったTHE NORTH FACEを卒業しました。長かったのか短かったのかわかりません。気がつくとそこには、ただ夢中で走り抜けた軌跡が刻まれてました。僕がチーフとして携わったとき、わずか10億そこそこのちっぽけなブランドに過ぎなかったこのNORTHが、すでに年間売上700億を超えるマンモスブランドに成長していました。かつて在籍したMEN’S BIGIもめざましい成長を遂げましたが、THE NORTH FACEの成長は、比較にならないほど桁違いのものでした。しかし振り返れば、その仕事はブラックなどという甘いものではありませんでした。食事の時間も満足に取れず、終電にも間に合わず仕事場に寝泊まりする日々を何年も過ごしました。サラリーマンとして勤めたMEN’S BIGI時代が懐かしく羨ましく思えました。
自分たちの作る服が世間から評価され、売上を伸ばすことは嬉しいことに違いありません。しかしブランドが大きくなるに連れ、次々に加わる新しい価値観を持った新しいスタッフたちに、ある種の違和感をいだくようになったのも事実です。ブランドをここまで成長させたのは自分の力だという自負と同時に、すでに僕の時代は終わったのかもしれないという寂しさをいだき、今がいわゆる潮時ってやつかもしれないなどと、煮え切らない日々を過ごしていました。ブランドも会社も、僕が望む限り、年齢とは無関係にいつまでも雇ってくれると約束してくれていましたが、暖かい毛布にくるまっていたら、自分の人生はここで終わってしまうだろうという危機感にさいなまれ、僕は卒業を決意しました。30年前、僕が人生で初めて惚れたワタナベという男が、この年に社長に昇格しました。ついにあの男は最高峰の頂にケルンを積んだのです。僕の使命は終わりました。そしてこの男に付いてきたことが間違いではなかったことを改めて認識しました。この30年のあいだ、失ったものは何もありません。得るものだけの30年でした。幸運な人生でした。世界中で僕ほど恵まれた男はいないと、本気で思っています。
65歳になった僕は、この卒業をきっかけに大胆な断捨離を行いました。2000年に設立した自分の会社を解散し、車や家財道具や家族までも整理しました。3本も持っていたサーフボード、ラジコン飛行機、ハングライダーの機体など、僕の人生を支えてきたほぼ全てを捨て去りました。
人生が何度あるのかわかりません。もし20歳までの学生時代が第1の人生だとすると、それからTHE NORTH FACEを退くまで、パタンナーとして過ごしたこの45年間が、僕にとっては第2の人生だったんだと思います。そしていま僕が見ているのは、これから始まる第3の人生です。恐らくこれが最後のピリオドになるかも知れない人生を、僕はいまスタートしました。血湧き肉躍る人生が、待っているような気がしてなりません。